東京高等裁判所 昭和51年(行ケ)138号 判決
原告の請求の原因及び主張の一ないし三は、当事者間に争いがない。
そこで本件審決に、これを取消すべき違法の点があるかどうかについて考える。
原告は、本件発明は塩化ビニルの懸濁重合に際し、保護コロイド又は分散剤として公知のメチルヒドロキシプロピルセルロースの粘度を、二重量%溶液で五〇~五〇〇cp/二〇℃に限定することにより、生成される塩化ビニル懸濁重合体と塩化ビニル乳化(エマルジヨン)重合体との混合物の細粒度を高め粘度を低下させて、塩化ビニル製品の平面滑性と加工性を著しく高めるという優れた作用効果を奏するものであるところ、右のように優れた作用効果は第一、第二引用例のものにはないのにもかかわらず、審決はこの差異を看過して本件発明が格別顕著な作用効果を奏したものとは認められないとしたものであつて、その点で違法である、との趣旨を主張する。
被告は、この点に関し、本件発明は塩化ビニルの懸濁重合法に関するものであるから、本件方法で生成された懸濁重合体と特定乳化重合体からなる混合物又はその混合物からなる成形品を本件発明の作用効果とすることはできない旨の主張をする。しかしながら、その明細書中の記載(成立について争いのない甲第二号証の二、第二頁第七行ないし第一五行、第五頁第一四行ないし第六頁第五行、第一四頁第八行ないし第一六頁末行、及び成立について争いのない甲第四号証―昭和四五年二月二五日付手続補正書)によれば、本件発明は、本件発明の方法により粒径の小さい塩化ビニル懸濁重合体をつくることを直接の目的とするが、該重合体は、塩化ビニル乳化重合体と混合し、その混合物の粘度を低下させて平面滑性において優れた塩化ビニル製品を得るためのものと認められるから、本件発明の作用効果として、本件発明の方法によつて得られる塩化ビニル重合体を塩化ビニル乳化重合体と混合することによる作用効果をも主張することは許されるものと解すべきである。
ところで原告は、前記のように、本件発明は、本件発明の方法によつてつくられる塩化ビニル懸濁重合体を塩化ビニル乳化重合体と混合し、その混合物の細粒度を高め粘度を低下させて、塩化ビニル製品の平面滑性と加工性を著しく高めるという第一、第二引用例にはない優れた作用効果を有するということのみを主張し、本件発明の構成そのものが、第一、第二引用例からみて当業者にとつて技術的な困難性があるわけではないことは、特に争つていない。しかして、第一、第二引用例はいずれも懸濁安定(分散)剤としてメチルヒドロキシアルキルセルロースを用いる塩化ビニルの懸濁重合に関するものであり、そのメチルヒドロキシアルキルセルロースとして第一引用例には三〇cp以下のメチルヒドロキシプロピルセルロースのほかに三五七〇cpのメチルヒドロキシプロピルセルロースが示されており、第二引用例には八~二〇〇cpのメチルヒドロキシエチルセルロースが示されていることは審決認定のとおりであつて、第二引用例に示されているメチルヒドロキシエチルセルロースと本件発明で用いるメチルヒドロキシプロピルセルロースとは、セルロースなる高分子鎖に、メチル基とヒドロキシプロピル基又はヒドロキシエチル基なる低分子の基がエーテル結合したもので、両者は化学構造的に極めて類似しており、両者を相互に代替使用することは、当業者ならば容易になし得ることと認められる。従つて、第一、第二引用例の記載から、安定(分散)剤として本件発明の範囲の粘度を有するメチルヒドロキシプロピルセルロースを選択する程度のことは、効果を確認しながら実験を繰返すことによつて容易にできるものであると認められ、その選択によつて、その範囲のものにつき各引用例からは予期することのできなかつた特段の効果が得られたというのでないかぎり、特に発明力を要したものということはできない(なお、審決は、本件発明の範囲にある粘度をもつメチルヒドロキシプロピルセルロースは引用例には示されていないというが、本件発明における粘度中五〇~六〇cpのものは第一引用例の第三欄第六二行ないし第七二行―訳文第九頁第二行ないし、第一〇行―に示唆されている。)。
すなわち、特許出願された発明が、引用例のものに比べて効果が優れたものであるからその発明は引用例から容易に想到し得たものでないとするためには、その発明の効果が引用例からは予期することのできない特段のものであることを要することは、被告主張のとおりである。そこで、本件発明が引用例からは期待することのできない特段の作用効果を有するものであるかどうかについて考えるに、本件明細書(甲第二号証の二、第一四頁第八行ないし第一六頁末行及び甲第四号証2)の項以下)自体中に、本件発明の粘度範囲中にある一〇〇cpのメチルヒドロキシプロピルセルロースを用い、一方、第二引用例の粘度範囲中にある一三〇cpのメチルヒドロキシエチルセルロースを用い、その他は同一の条件でつくつた両塩化ビニル懸濁重合体を、各塩化ビニル乳化重合体と混合したとき、その混合物の粘度は、本件発明の方法によるものが三二〇〇cp、第二引用例記載の方法によるものが三四〇〇cpと、ほとんど差異のないものであつた旨が記載されている。そうであるとすれば、本件発明の方法によるものが、第二引用例記載の方法によるものに比べ、特に優れた作用効果を有するものとするとはいえないことになる。さらに原告は、第二引用例記載の方法によつて得られるペーストの粒径について、大部分が一〇〇μと三〇〇μの間に分布していて、最大粒径は五〇〇μに達するのに対し、本件発明の方法によつて得られるペーストは、粒径二五〇μ以上のものは皆無であると主張し、成立について争いのない甲第七号証の一(宣誓供述書)を援用する。しかしながら、右宣誓供述書中に示される実験は、本件発明の分散剤メチルヒドロキシプロピルセルロースの五〇cp及び一〇〇cpの互に異なる粘度のものを用い、互に異なる粒径の塩化ビニル懸濁重合体を得ながら、これらを各塩化ビニル乳化重合体と混合した結果、同じ粘度(五二四〇cp)の混合物を得たとしている点、本件明細書中には、前記のように第二引用例記載の分散剤メチルヒドロキシエチルセルロースの一三〇cpの粘度のものを用いて塩化ビニル懸濁重合体を得、これを塩化ビニル乳化重合体と混合し、三四〇〇cpの粘度の混合物を得たとしているのに対し、宣誓供述書中の実験は、前記第二引用例記載のものと実際同じものであると原告が主張する一四〇cpのメチルヒドロキシエチルセルロースを用いた場合は混合物の粘度についてはsettlesとなつている(その趣旨は、原告の証拠説明では測定が不可能であつたとしている。)点、及び第二引用例には、該引用例記載の方法で得られる塩化ビニル懸濁重合体の粒径は一〇〇μ未満のものが八〇・七九%(例2)である旨の記載があるのに対し、右供述書中の実験では、第二引用例記載中の粘度一四〇cpのメチルヒドロキシエチルセルロースを用いて得た塩化ビニル懸濁重合体の粒径で一〇〇μ未満のものは一九・六%にすぎないとしている点などの疑問点があり、右宣誓供述書の内容は、これをそのまま採用することはできないものといわなければならない。
ほかに、本件発明における前記粘度範囲の限定による特段の効果についての立証はなく、従つて本件発明は、第一、第二引用例からは予期することのできない特段の作用効果を有するものであるとする原告の主張は採用できない。
以上のとおりであつて、本件発明は第一、第二引用例の記載から当業者が容易に発明し得たものであるとした審決には違法の点はないから、その取消を求める原告の請求を棄却する。
〔編註〕 本件における特許発明の要旨は左のとおりである。
特有の分散剤としてのメチルヒドロキシプロピルセルロースの存在で、モノマー溶解性の触媒使用のもとに水中で塩化ビニルを懸濁重合させる際に、メチルヒドロキシプロピルセルロースとして、二重量%溶液で五〇~五〇〇cp/二〇℃の粘度を有するものを用いることを特徴とする塩化ビニルの懸濁重合法。